5.29.2014

デザイナーにとってのデザインの保護

デザイナーにとって、自分のデザインを保護することは、デザインを創作することと同じようにとても大切なことだと思います。

ただ、特許や実用新案、商標や意匠権を一つ一つ丁寧に取っていこうとすると、時間もお金も非常にかかります。→産業財産権関係料金一覧(特許庁サイト)

そこで、
一般社団法人 日本デザイン保護協会が行っているデザインを保護する取り組みとして、「創作デザインの寄託」というものがあるそうです。

簡単に言うと、「自社が創作したデザインを、日本デザイン保護協会が保管、公開することによって、他社の権利化を防ぐ」というものだそうです。

詳しくは→日本デザイン保護協会

創作デザイン寄託料1,620円と、公開手数料2,160円で合わせて、一件当たり3,780円でできるそうです。「カタログ寄託」というものもあり、カタログごと保管、公開することによって、他社の権利化を防ぐというものもあるそうです。一度にたくさんのバリエーションを発売する場合に有効かと思います。

特許や実用新案、商標や意匠権を取るに越したことはないと思いますが、例えば、
意匠権の出願16,000円と1年間の登録料8,500円合わせて24,500円、
実用新案の出願14,000円と1年間の登録料2,100円の16,100円に比べれば、
3,780円で他社のデザインの権利化を防げるのであればお得ですよね。

ただ、権利というのは利権争いであり、他社を不利益にしてしまったり、他社の権利を犯してしまうと問題が出てくるのであって、そもそも他社の迷惑にならなければ、争いは起きないと思います。

極端に言ってしまえば、利権争いはただの喧嘩だと思います。社会的ルールを守らなかったり、相手を尊重しなかったり、相手に敬意を払わなかったり、相手に損をさせてしまったりすることによって、相手に腹立たしい思いをさせてしまうことが問題だと思います。

そのようなことのないように、他社を侵害しないかきちんと調べ、また、事前に自分の権利をきちんと守っておくことも大切ですね。


5.26.2014

スガイワールドポリシー

取り組みについて

一、夢と想像力あふれる未来を創る
一、ネガティブな風潮と戦う
一、お金の問題で夢をあきらめない社会をつくる
一、10年後の価値を創る
一、常に感謝の気持ちを忘れない
一、迷ったら世のため人のためになることを選ぶ
一、無名であり、小資本であることを知恵と努力で補う
一、あらゆるチャンスを総動員する
一、ワンチャンスにベストを尽くす
一、日夜、業務の改善、製品の改善を怠らない
一、勤務時間は午前9時から午後6時まで
一、失敗は挑戦していることの何よりの証拠
一、順調なときにこそ、次を取り組む
一、常に世界の動向に目を向ける
一、世の中の変化に対応する
一、貿易によって世界の人と交流し、世界の平和の一助になる
一、競わず、攻めず、戦わず、敵味方を作らない
一、すべての問題はコミュニケーション不足から生まれることを認識する
一、自分たちの商売以外のことには手を出さない
一、施しはせず、仕事に対して正当な対価を支払う
一、お取引先様は運命共同体
一、成功があれば、それは人のおかげだと肝に銘じる
一、目標の実現のために1の努力を一つ一つ足していく


製品について

一、人の心に届くものづくりをする
一、製品はお客様との絆であり約束である
一、夢が広がり、想像力が広がるような製品を開発する
一、できるはずがない、という考えから脱出する
一、成功するまであきらめない
一、特権階級のためのデザインはしない
一、信頼できる工場で製造する
一、リサイクル可能な素材を使用する
一、自己資金で製造する
一、割引、値引きはしない
一、他社は良き手本とし、絶対に模倣しない



5.24.2014

詳しいプロフィール

1980年12月、山形県の法師柳*に須貝家の三男として生まれる。
*村にある柳の下でお坊さんが念仏を唱えたことから法師柳という地名になる。今も我が家の隣のお寺にその柳の木がある。
「悠」という名前の由来は、父が尊敬する詩人で作詞家の阿久悠さんから。

父は、百姓音楽家の須貝智郎。エンターテイナーの父を見て育つ。
母は、市役所職員で経済的に父を支える。

昔ながらの農家に生まれ、仏教と神道の教えに強く影響を受ける。
「お米一粒に神様一人」という神道の精神をたたき込まれる。
今でも神道の八百万の神の思想「モノには全て神が宿る」という考え方が好き。

保育園のとき、折り鶴を折れない不器用な自分が悔しく、泣きながら夜遅くまで練習する。
練習を重ね、1cm角の紙で折り鶴が折れるようになる。この頃からものづくりに対する情熱が芽生える。

小学生のとき、声がでかいだけの理由で、応援団の組頭をする。
中学生のとき、文化祭実行委員長をし、父に講演依頼し、みんなに喜んでもらう。

高校生のとき、学校に行きたくなかったので、公欠で休めるという理由で弁論大会に出場し、県で優秀賞をもらう。
兄の奨めと、入学試験が自分が得意な工作だった多摩美術大学を受け1浪の末、入学。
ちなみに予備校時代に「新しい乗り物」の課題を出され、
みんながお年寄り用の乗り物や、かっこいいスポーツカーを作る中、
ぼくは植木鉢用の乗り物を作り、講師に絶大な評価をもらい、発明家精神が芽吹く。

大学生のとき、ものづくりは好きだったが、夢は発見できず。
映像なら、なんでもできるのではないかと映像の世界を目指す。
映像制作会社を何十社と受けるが全く受からず、1年半、池袋のジュンク堂書店で働きながら就職浪人する。
このとき、自分はこの世界に必要とされていないのではないかと、すごく悩み落ち込む。

フリーターのとき、友人に「社会不適合者」と呼ばれ、信じる。
そのときたくさんの本を読んだり、テレビをみたり、考えたりしていて
「そもそもこの世に社会不適合者なんていない、だれもがこの社会をよくする使命があるんだ」と気づく。

なんとか映像制作会社に入社する。1ヶ月に数回しか家に帰ることができない忙しい生活をする。ボロぞうきんのような扱いを受ける。約2年働いたが、色々あり命の危険を感じたので、退社し、友人のお父さんが営むデザイン会社に入社する。デザイン業務よりは営業が向いていたのか、営業業務をまかされる。会社の業績アップをすべく、展示会で飛び込み営業を何千社と行い、お仕事をたくさん頂く。この頃、満員の通勤電車の中でストレス解消目的で発明ノートを描き始める。

その中の「会社のみんなをメガネに例えるとどんなカタチか」という企画が同僚の目に留まる。その企画を会社のみんなも喜んでくれ、実際にそのメガネを厚紙で作り、みんなで記念写真を撮影をする。
その出来事がきっかけで、社会人生活で封印していた自分の創作欲が爆発。

約3年、営業業務をしたが、企画やデザイン業務をしてみたくなり、
ホビーメーカーのインハウスデザイナーに転職。
夢を抱いて入社するが、その夢の企画は一切採用されず、悶々とした3年間を過ごす。

会社でできないなら、自分でやるしかないと、
初の自社製品であり、発明ノートの企画の一つである「ひげ付箋」を作る。

「ひげ付箋」を作ったはいいが4,000個の在庫の量に唖然とする。
出会った方の多大なるご支援とご協力、過去に培った営業力、ちょっとしたヒゲブームのおかげでなんとか初回生産分がなくなる。

そして、その利益で新しいプロダクトを徐々に増やしていき、
2013年2月に初めて大きな合同展示会ギフトショーに出展する。
たくさんの方に支えられ、多くの注文とデザイン業務の依頼を頂く。

バブル崩壊、不景気、リストラ、社会の閉塞感、環境破壊、就職難、非正規雇用の増加、格差社会、たくさんのネガティブな言葉を浴びて育ってきたが、そのネガティブなものを打開すべく、クライアント様の企画デザイン業務と自社の商品販売で生計を立てながら、ポジティブに日夜奮闘しています。
夢は「社会がもっと夢と想像力で溢れる」こと。

5.21.2014

3つの言葉

早老症でなくなったサム・バーンズさんの記事を拝見し、彼の3つの言葉が今の自分の心の中にすっと入ってきました。→17歳で”老衰死”した早老症の少年が遺した、幸せに生きるための3つの哲学

「夢中になれること、できることに集中する」
難しい課題をやり遂げるには、どれだけの熱い情熱や執念をもって取り組むことができるか、にかかっていると日々感じています。夢中になれることというのは、苦労を苦労と感じず、我を忘れて取り組むことができます。夢中になることができれば、自分が持っている能力を最大にすることができると思います。それとは逆に夢中になれず、得意でないことをしようとするとその情熱も空回りしてしまう可能性があると思います。なので、自分はどのようなことに夢中になることができるかきちんと自覚したり、自覚できなければ、自分が何に向いていそうか人に聞いてもいいと思います。

「自分が側にいたい人に囲まれるようにする」
ぼくは、スガイワールドの活動を始めてから本当にたくさんの尊敬する人に出会うことができました。ぼくが興味や関心のある人が周りにたくさんいるようになりました。会社員時代は、クライアントや取引先、同僚を自分の裁量で誰がよいか決めることはできません。だからといって誰がよいか決めたいわけではありませんでしたが、自分の仕事を心から前向きに楽しむことができる今は、前向きな人たちや興味のある人と、どんどんつながることができるようになりました。そうなることによって、自分自身がさらに前向きな気持ちでいることができ、本当によい状態になることができました。

「前進し続ける」
ときには立ち止まって、物事を整理し考えることはとても大切だと思います。それは前向きに向上していこうという気持ちの現れだと思います。ただ、後ろ向きになったり、もうここまででいいや、と投げやりな気持ちになってしまったら、生活していても張り合いがなく、とてもつまらないものになってしまうと思います。少しでも前進しようとする人の姿勢は、とても魅力的でし、本当に大切なことだと思っています。

サム・バーンズさんの言っていた、“幸せに生きるための3つの哲学”
夢中になれること、できることに集中する
自分が側にいたい人に囲まれるようにする
前進し続ける

この言葉は今の自分にとても響きました。

5.12.2014

独立する上で(事業計画書の書き方)

“方針の定まらない人は羅針盤を失った船のようなもので、前進どころかたちまち怒濤に押し流されて、ついに船体は転覆するほかありません。”
ぼくの尊敬する人に、中村屋を経営した相馬愛蔵さんという方がいるのですが、その方の「一商人として」という本のなかで、このように書かれていました。まったくその通りだと思います。

まだまだこれからの自分に何も偉そうなことは言えませんが、 どうしたらデザイナーになれるのか」という箇所でも書いたように、ちょっとでもやりたい業界に近い世界に足を踏み入れ、修行させてもらった方がよいと思います。

もし、やりたい業界で3〜10年働くことができ、いざ独立するぞ、というときには、簡単でもいいので事業計画を書いてみるのがオススメです。ただ独立するには、人のつながりや資金や知識を蓄えるために、最低でも3年くらいの準備期間は必要かと思います。当たり前かもしれませんが、いかにお仕事を頂けるようにするか、が大きなポイントだと思います。そして仕事をする上で、誰のために、何のために、どうやって、というところが明確になっているといいと思います。

1)事業立ち上げ目的(何のため)
2)事業理念(どのような考えで)
3)商品・サービスの概要(どのような内容、手法で)
4)ターゲット(誰に)
5)市場および競合の分析(市場の現状は)
6)マーケティング/営業(製品サービス、価格、場所や流通、宣伝・販促、売り込み方など)
7)財務計画(年、月ごとの収支目標など)
など

参考までに
SUGAI WORLD事業計画書の概要
事業が成功する人と成功しない人
商品開発プロセス

5.10.2014

コピー商品が出てしまったら

2014年、スガイワールドの商品のコピー商品が出てしまいました。「模倣なくして創造なし」とはよく聞きますが、今回登場したのは、真似たのではなく、完全なるデッドコピー(既存の製品を権利者の許可を得ず複製した模造品)です。

少しでも皆さんがこのようなトラブルに巻き込まれたりしないよう、情報共有のためにこちらに記録を残しておきたいと思います。ちなみに詳細はこちら↓

カタログのPDFデータにロックをかけず、イラストのデータが流出してしまったことが原因でした。
模倣と聞くと個人的には、「真似、似せる」というイメージがあるので、ぼくはここであえて、今回出たものは、そのままのデータを悪用したデッドコピーと言いたいと思います。
デッドコピーが出てしまったらどうしたらいいのでしょうか。今回のデッドコピーの裏面には「Made in Korea」とだけ書いてありました。なので「デッドコピーは韓国製?」と思ったのですが、どうも調べてみると中国製のようなのです。中国の模倣品を製造する会社によっては、中国製にも関わらず「Made in Japan」と書くところもあるそうです、汗。デッドコピーをさかのぼって調べてみると中国の浙江省のYiwu International Trade Martがコピー品の出どころのようでした。ここは、コピー品で溢れているマーケットだそうです。

模倣品が出てしまったら
1)模倣品の販売場所、価格、物品証拠の入手
2)販売店への警告および、販売停止依頼
3)調査会社へ模倣品製造元の調査の依頼
4)模倣品製造業者より、模倣品製造証拠の入手
5)調査会社に行政機関による取り調べを委任
6)管理局での摘発、取締
7)再発防止のため繰り返し調査、摘発
が簡単な流れのようです。JETROのサイトにも手順について詳しく紹介されています。↓
模倣品・海賊版の被害に遭ったときの対応と救済手続

また、事前の模倣品予防策として
1)模倣品頻出国(中国、韓国など)や販売予定国(EU、USA、日本など)で商標、意匠、特許権を取る
2)製品の表面にロゴやコピーライトを明記する
3)カタログ、製品等に製造年月日を入れる(証明のため)
4)写真やカタログ、製品の情報が盗用されないようにデータ管理を徹底する
などです。

ちなみに中国には、著作権登録制度というものがあって数千円で申請できるそうです。ただ、自分で中国語で申請するのは難しいので、中国の弁理士さんなどに代理人として申請をお願いする必要があり、その費用が5〜10万円だそうです。

問題が起きてしまったら相談に応じてくれる団体はたくさんあります。もちろん問題が起こる前に相談することもできます。事例によっては相談するところが変わってくるので、自分で調べながら、相談していく必要があります。

模倣品相談窓口
JETRO知財課(主に貿易や海外の権利関係について)
アジア太平洋工業所有権センター(主にアジアにおける貿易や権利関係について)
IP FORWARD法律事務所(中国における調査や申請、訴訟の相談)
東京都知的財産総合センター(主に国内の権利関係について)
知財総合窓口(商標、意匠、特許、実用新案などの知的財産権全般に対する相談)
そのほか経済産業省が紹介する相談窓口リスト

まずは、各行政機関に相談するのがオススメです。
今回身にしみて感じたのは、当たり前かもしれませんが、一番がんばらなければいけないのは、デッドコピーを出されてしまったメーカーだということです。メーカーがあきらめてしまったら、デッドコピー製造業者の思うつぼです。今回発見できた偽物を売っている卸会社は6社でしたが、その会社に連絡をしたところ、デッドコピーの販売を中止してもらうことができました。でもまたデッドコピーが出てこないように常に注意している必要があります。

デッドコピーのいけないところは、既存の製品を権利者の許可を得ず複製したことです。権利者に対して、ロイヤリティー(製品の複製権の利用料)を払うことなく不当に利益を得ています。

みなさんも国内で商品を販売するときはもちろん、海外で販売したい国があったら、その国で商標、意匠等の権利を取得することをオススメします。
日本はマドリッド協定議定書によって特許庁で一括で国際商標を取ることもできます。↓
マドリッド協定議定書(通称:マドプロ)による国際出願等(商標の国際出願に関して)
特許は特許協力条約(PCT)。今後、国際意匠も取れるようになるそうです。

※ちなみに余談ですが、1930〜60年代、日本も欧米の模倣品を作っていた歴史があるそうです。そのため輸出品デザイン法という法律が制定され、認定機関の認定を受けなければ輸出できなかったものもあったそうです。その制度が廃止されたのがつい最近の1997年。「中国はなぜ模倣するのか」という素朴な疑問がありますが、「日本も戦後、欧米のものを模倣してきた歴史があるように、中国もまたそのような歴史をたどっているのでは」とアジア太平洋工業所有権センターの方がおっしゃっていました。ただ日本は、模倣ではなく改良模倣がとても優れていたそうです。車にしかり、家電にしかり、もともとは欧米の技術や製品だったものの品質や性能をよりよくすることによって改良特許を取得し、発展してきた歴史があるそうです。大きな会社になると市場シェアを得ることができなければ生き残れないため、利権争いは必死で、常に特許紛争をしているようです。そもそもぼくは、平和で楽しく夢溢れる よりよい社会になるための一助になりたくてスガイワールドをやっているので、誰とも争う気はさらさらないのですが、この活動を続けていくためには、日頃からきちんと自分の権利を守り、管理していくことも大切ですね。

参考資料
ニセモノ対策パンフレット(PDF)
海外模倣対策ハンドブック(PDF)

5.09.2014

NHKの街頭インタビューで

先日、NHKの街頭インタビューで「夢はありますか?」という問いに対して、「夢はないです」「お金がないです」「将来に希望が持てないです」「自分が生きるので精一杯です」と答えている方々を見ました。

「夢がない」
日本というとても恵まれた環境にいても「不景気」「リストラ」「格差社会」など、マイナスな雰囲気が社会を覆い、夢を抱いても、そのささやかな夢の芽が即座に摘まれ、はじめから「そんなのできっこない」と決めつけてしまう考え方が蔓延しているのかもしれません。そもそも最初からあきらめてしまう。それは、周りの人から「無理だ」「あきらめろ」「できない」と言われ、意気消沈してしまってるのかもしれません。それでも、どうか希望を抱き、夢を忘れず、まだいけると踏ん張り、あきらめない強い意志を持ってほしいと思います。

「お金がない」
そもそも日本は、世界全体と比べると大変高収入です。年収200万円以上の所得があれば、世界の約5%の富裕層に入ります。200万円以下で暮らす人は、世界の実に95%です。世界のほとんどの人は、年収200万円以下で暮らしています。
世界には今も、食べるもの、着る服、住む場所に困り、決して衛生的とは言えない生活を送っている人が本当にたくさんいます。それなのに日本人が「自分にはお金がない」と言うのは、あまりにも欲張りなようにも思います。

「将来に希望が持てない」
将来に希望が持てない理由を政治家や大人のせいにしすぎている感じもします。希望を作るのは一人一人だと思います。確かに地球は、刻々と環境破壊が進み、人口は爆発し、未来は食料問題が起こり、日本にはいつ終わるか全く分からない福島原発の事故処理の問題や、放射性廃棄物の10万年後の未来への押しつけの問題もあります。でも、そもそも希望とは、自分や、みんなで作り出すものだと思います。

「自分が生きるので精一杯」
もし、自分が日本に生まれたのであれば、それはとても幸運なことだと思います。家庭によっては、生活にとても余裕がなく、恵まれない場合もあるかと思います。それでも、日本には社会福祉という支援制度が充実していて、生活を改善するチャンスがあります。
日本でとても恵まれている生活を送っているにも関わらず、それに気づくこともできず、それに感謝やありがたみも見い出せず、生活しているとしたらそれはとても残念なことです。

日本人は自分を“中流”と言いますが、世界にとってみれば、世界のたった5%の超お金持ち層です。日本も一昔前は、テレビやお風呂や冷蔵庫や洗濯機は家庭にはなく、それらは大変な贅沢品でした。今では日本の家庭に当たり前にあるものでも、世界の人にとっては、今でも大変な贅沢品です。
しかも、ガス、水道、電気に困らず、食べたいものが簡単にすぐに手に入れることができる国は、世界中見てもかなり稀です。この国の人々が、自分たちは「夢がない」「お金がない」「将来に希望が持てない」と甘えていてはよくないと思います。

世界には、助けを求めている人がとてもたくさんいます。世界は、知識や知恵、技術を持ち、チャンスに恵まれた日本人を間違いなく必要としていると思います。

夢や希望を抱き、想像力を働かせ、まだいけると踏ん張り、あきらめない強い意志を持ち、前向きな気持ちを忘れず、頑張りたいものです。