世間では「100年に一度の不景気。」「20年ごと不景気のサイクルがある。」などと言われますが、何年ごとに不景気のサイクルがあるのかが大事なのではなく、そもそも景気には浮き沈みがあるのだから、それに備えることが一番だと思います。
二宮金次郎さんは、1833年以降に度々起こった飢饉(食べ物がなくて飢えること)を予見し、お米だけではなく、稗(ひえ)や穀物などを育てることを推奨し、みんなで乗り切りました。
今からたった180年前の日本では、食べ物がなくなり、多くの死者を出したことがあったなんて今の人は信じられないかもしれません。
今の日本では「食べ物が余って廃棄している」なんて昔の人が知ったら、なんと思うでしょうか。
先日、とある方から「昔は11億の売上げがあったが、今じゃ2億だよ。」と伺いました。色々とご苦労があるかと思います。弊社も人ごとではありません。弊社の売上げは皆様に比べれば、雀の涙程度ですが、「備えあれば憂いなし」。
二宮金次郎さんは、収入に応じて支出に限度を設け、備えた余裕を次世代や地域に譲ることが大切だと言っていました。
利益は人様から預かった預かり金です。いずれきちんと返さなければいけません。
利益を自分のものと思うのは、甚だ勘違いなのです。
松下幸之助さんは「ダムの経営」、稲盛さんは「足るを知る」が大切だと言っていました。
手元にお金が入れば使ってしまうのが人間の性ですが、それを我慢し、次への蓄えとして備えることができる人こそ、経営者なのではないでしょうか。
下記「二宮金次郎の一生」P211より
「お前たちの村が荒廃したのは、ただ用水が駄目になったので、農業が出来ないからではない。用水が駄目になったら、田圃を畑に切りかえて、雑穀を育てればいいではないか。人の命を養うのは、米だけではない。それなのに用水が駄目になったのを口実に怠けて良田を荒廃させ、博突を好み、よそから金を借りて、一時のがれをしている。これこそ家が困窮し、一家離散した原因である。博突というものは、たとえ金持ちでも、先祖伝来の家を傾けてしまうものである。ましてや、貧しい者がこの悪弊に染まれば、たちまち滅亡するに決まっている。また、田に用水のないのを理由に田を荒らしているが、田を畑に切りかえて農耕すれば、畑も田にまさるほど有益である。田は年に一作しか米が穫れないのに、畑ならば年二回、作物が穫れる。それをしないのは、お前たちが怠け者であるからだ。わたしのやり方は、質素、倹約を旨とし、それによって余剰を生み出し、その余剰で他人の苦難を救い、それぞれが刻苦精励して家業に励み、善行を積んで悪行はなさず、よく働いて、一家の安全をはかるというやり方である。どの家もこのように努カすれば、貧しい村も豊かになり、滅亡寸前の村も必ず復興できる。」